代表の想い

世界中が‘ネガティブ・インフル’に感染?

世の中を見渡してみてください。私たちの身の回りはとても豊かになってきたように見えます。衣食住はもちろん、スマホやパソコンの普及、バーチャルで遊べるゲームなど、モバイル機器を開けば一瞬にして世界と繋がることも可能になりました。

ですが、それにも関わらず世界中の人が常に不安に思い、常に何かにイライラし、常にネガティブだとは思いませんか?まるで世界中がネガティブのインフルエンザでも発症しているかのようです。

これまで常に人類が悩み抱えそして常に解決できないものに「貧困」・「難病や病い」・「争い」がありました。しかし科学的技術と医療技術の躍進のお陰で、「貧困」や「病い」は少しづつ解決に繋がって来ています。

ところが「争い」はどうでしょうか。長い間私たちはこの「争い」の原因は、「貧困」や「病い」にあると考えられてきました。

つまり物質的な「豊かさ」があれば「争い」は起こらない。であるのにも関わらず、相変わらず争いは収まっておりません。むしろ「貧困」の解決とは逆に「欲望の肥大化」を招いており、平和につながるどころか更なる巨大化した「争い」に発展しつつあります。

これは何が原因なのでしょうか。

人は本来、成長し発展しいくことに生きがいを感じていきます。ところがその視点が『自らの豊かさ』という「心の豊かさ」に目を向けずに、「何かと比べる」中で豊かさ測ろうとすると、発展と欲の違いが認識できず、常に欲に対する解決できない「不満」という名のネガティブな状態に陥っていくのです。そしてこれは国を治めている政府や政治などの国家間の問題ではなく、国を構成している人ひとりひとりの意識の在り方という根本的な課題が潜んでいることに気づかねばなりません。

       欲に対する解決できない「不満」

確かにある種の「争い」モードは、感情の高鳴りとともに躍動感を感じ、常に高みを目指す原動力にもなり得ます。

しかし、これは短期間であれば効果もありますが、長期にわたり自身を高みに上げるには「不満」が募っていきます。そして現状と目標のギャップがあればあるほど、足かせとなる感情でもありますが、これは人間の脳の持つ本質的な構造がさせている為、目標達成には意識と感情とのバランスという平衡感覚が重要なのですが、これまで難題な受験生をサポートしてきた中で初めに出くわす最も足かせであり難題となるのがこの「不満=ネガティブさ」を感じている感情なのです。

ただ彼らは初めからネガティブではありません。むしろやる気のある時も経験しています。ところが自身の成長や学びの「真の意味」の不認識が、現状を打破できない自分自身への「不満」に変化していったのです。

特に当初は小さな「残念」という感情は「頑張る」原動力になりますが、学ぶ豊かさなどの精神の充実感を感じられずにいると、到達できないことへの「不満」は、次第に膨らみ、環境への不満や自身への「怒り」に転じそののち、「放棄」から「あきらめ」、そして「無気力」「無関心」へと陥っていくのです。

よくよく見渡してみると、身の回りにはこの「無気力」或いは「無関心さ」を保持している若者が蔓延してはいないだろうか。他人事でなくもっと身近に目線を落としてみると「積極性がない子ども」や「引っ込み思案」の多い子どもに気づきはしないだろうか。

先進国に広がるこの状態こそ問題は大きい。この精神の豊かさ・心の豊かさの喪失はかつて微細なものも感じる感性の国=日本を、手に負えない程の「ネガティブ」を過剰に感じる国民にしてしまったのだろうか。この残念さは、生き甲斐と生活への喜びを見失った大人のコトバとして、全くもって無意識に子どもに浴びせてしまっていることなのです。

~㈱コンソナンスを設立したわけ~

1本来、子どもの可能性は無限大です!

思うようにぐんぐん伸びようとする枝を剪定する側の一存で、こうでもない、あぁでもないと、どんどん剪定してしまうと・・・その木はどんな木になるでしょうか。

確かにその子にしかない可能性の芽は、大人である私たちにとって歯がゆく、小さすぎて見えにくいかもしれません。

世間体や何かと比べること、親の思いをなすりつけることをしているつもりが無くとも、親自身の「心の安定」がないと、「焦り」や「不安要素」に見えるかもしれません。

ですが、等身大の「そのままのわたし・ぼく」にきちんと目を向けること、わたしの喜びを共有してくれる人がいること、そんな大人が一人でも傍にいることで「心のひだ」が大きく育っていきます。誰かと比べられるのではなく「わたしは私でいいのだ」という自己肯定感というものが大きな壁を乗り越える力として蓄えられ、驚くべき「生きる力」を身に付けていきます。

 幼少期・少年期に自然を感じる感性や体感教育、右脳左脳の全脳とイメトレを系統だてて積み上げられるのは、長期にわたって喜びや楽しみを感じやすい「音楽」より最適な物はありません。音楽は人と共有するものでもありますが、極めて個人的なものでもあるからです。

ただひたすら「夢中」になって携わることや成長を楽しむ「豊かさを感じる子ども」づくりを目指して、一緒にお子さんを応援したい、いえ応援していくべきだと思いました。

 

でもそれは・・・

自分自身の「重度の鬱」という経験が気づかせてくれました。

鬱は薬では治りません。カウンセリングでも治りません。コーチングももちろん機能しません。
頼みの綱であるカウンセリングに絶望を感じ、自身の鬱に至った経緯をプロファイリングしてみると、極度の“セルフイメージの低さ”とそれによる“自信のなさ”、“上がり症”などは生まれつきの性格ではなく、後天的に作られていったものだと気が付きました。自分は「なりたい自分」ではなく、常に自分自身に「不満」を感じていることが常だったことを思いだしました。親から見た足りない自分、期待に応えられない自分という思い込みが自分を支配し、”残念な自分”という性格を形成していったのだと知りました。この状態で「夢」など描ける筈もありません。

脳的に言えば、脳は常に良い状態でいるように物事を削除したり省略するなど効率化するよう機能的に動いているのですが、に、自分を望まない方向にも強く固定化し解釈してしまい、これが鬱などなかなか出られない状況にも陥らせるのです・・・
酷いときには自分がこの世の【諸悪の根源】とさえ思え、絶望の淵にあわや自殺・・というところにも陥りました。

私自身は寸でのところでNLPという学問に出会い、意識を「なりたくない」という不満な自分にフォーカスする癖を知り、五感をフラットに開き、今ある豊かさを感じ直したことで、やっと未完成なでこぼこな自分を認められたことで脱出できました。が、ふと周りを見渡してみると、これは自分だけに起こったことではなく、年間3万人もの人が自殺している日本という国全体で起きている事ではないのか?と。

なぜ日本はそんなことになってしまったの?

自分の育つ環境で周りにいた大人たちの、子を想う親から見た常に「不満要素のあなた」という認識がさせていた、という無意識レベルで培ってきた結果だと気付きました。

2常に自分は親の思う子ども像として認められず、しまいには元からそんな人間なんだから仕方ないのだ、と思い込み、そして諦めつつも、そんな自分に嫌悪感を持っていました。

しかしそれを払拭するように時に頑張ってみるものの、結果はいつも不満足。それは人間という製品が欠陥だった、としか言えないのではという想いを隠しながらのあがき・・と相当自分の力を奪う無駄な力を使ってきました。

 

それが残念な解釈は後天的な思い込みで、じつは『そうではなかったかもしれない』という解釈が出来たことが脱出のきっかけとなりました。
NLPという学問が<善き人間製造の解答書>かと思うほどに、自分が自分であることへの感謝、そして本来脳の持っている素晴らしい機能を、まったく真逆に使っていたことに驚愕したのです。

その「自分であることの豊かさ」を学び、脱出経験が本来の自分に立ち戻らせ、自分の未来へ希望の力を与えてくれた感動を胸に、これを一体どうやって社会の為に使おうかと考えました。

自身の体験は強烈なものでしたが、その経験により、人は闇の中に入っても必ず出られるという実感と、本来ひとは豊かで出来損ないの人間なんてそもそも居ないのだ!という確信からメンタルをサポートするNLPのコーチとなりました。

しかし、一人ひとりに向き合いネガティブ思考を解いていく道を歩み始めたとき、事は一筋縄でいくものではありませんでした。 こんな歩みでは日本中の3万人の自殺願望者には伝わる前に人生が終わってしまう。 田舎の一介のピアノの先生が目覚めたところで、伝えるすべもなく広がることもなく終わってしまう! このままでは夢も希望も持てない若者の作る日本の未来の行く末に強い危機感を覚えました。

そして30代の成年達の幼少期の頃からのネガティブな思考パターンの蓄積を紐解くこと、と一つの結論に至りました。

3その最たるkeyword・・・ それは【お母さん】の教育だったのです。

しかしお母さんセミナーなどコミュニケーションのセミナー会社なのか?というとそうではありません。 共に育てる為に情報を共有することが目的。

そして『音楽』というものは、人や自然を受け入れ共調させる最強のツールです。特にピアノは細部にわたって素早く動かす手の動き、ペダル、そしてイメージを音で表す際につかう想像力と創造力、表現に集中しながらも常に全体を捉える視線など頭を活性化させる楽器であり、目標達成に使うイメージを詳細にまで描くトレーニングでもあるのです!

また、音楽はコミュニケーション力など前頭葉を強く刺激させるものでもあり、他の習いごとよりもはるかに群を抜いています。 そして音楽の一番の力はその空間を支配させ、その場を同調させる力が圧倒的です。
自分の能力やスキルを喜びの為に上げ、自己確信とともに他者に気遣いを持ち、リーダーシップの力が自然と伸びていく・・・それがピアノが最適なツールという理由なのです。

そうしてはピアノという楽器を使って、お母さんと子どもたちその両方の育成をサポートしようとこの形に決めました。

弊社は一個人のピアノ技術を上げる為にこの事業をしているというよりも、 ピアノや音楽の表現を通して精神と心の豊かさを目的とし、それぞれの子どもの本来持っているポテンシャル引き出し、家庭に笑顔と感動の種を芽ぶかせ、人と人を繋げる未来に希望の持てる人づくりを長期的にしていくために、法人という形で存在し社会に貢献して参ります。

株式会社コンソナンス 池田薫